3月最終週となり、大学のほうも慌ただしくなってきました。
始業を1ヶ月程度遅らせる措置をとった大学が少なくない中、中央大学では、予定通り4/12からの授業開始という方針が打ち出されたばかりで、始業に向けて様々な準備を始めたところです。
さて、Marauderのほうは、選考会まで10日程度となり、プログラムの最終節、テーパリングの時期に入ってきました。
この時期は、いわゆる”調子”が不安定になる(あるいは、そう感じる)傾向にあるかもしれません。
既に調子が上がって来ている者もいれば、まだまだ”重い感じ”に支配される者、あるいは、日によって得られる感覚が異なり,それに気持ち、翻弄されてしまう者など、さまざまでしょう。
これらの調子によって、どのような気持ちになるのでしょう?
どんな調子であろうと、あんまり気にしない,という方向性を持てる者もいるだろうし、基本的に調子を悪い方に感じ取ってしまう傾向のあるヒトもいるでしょう。他方で、せっかく良くなってきたのに、「この調子の良さは明日以降も続くのだろうか?大会まで持つのだろうか?」と(不要な)心配をしてしまうヒトもいるのかもしれません...。
テーパー期の調子を良く感じたり、その時のタイムがよかったりすれば、”成功する証拠”を自分の中に確立することができるわけですが、そういう感覚が得られない場合は、「だめなのかな~...」という不安が出てくる....多くのスイマーが経験することなのかもしれません。
テーパー期の”感覚”も大切ですが、それ以前に、自信を持ってチャレンジしてきた記憶があるのであれば、それを礎に、”自信”とやらを築くのも手でしょう。
その”記憶”の内容も様々。
いつもよりもたくさん泳いだ。集中して取り組んだことが多かった。良い泳ぎをキープできている。"本番"に直結するトレーニングは外さなかった。すべてを水泳に捧げた!。などなど
でも、どの記憶も意外に曖昧だし、「論理的ではない」かもしれません。
そもそも、”成功するアスリート”は、理論などを度外視したレベルで、自分の都合の良いように「結果や解釈をねつ造する」傾向にあるように思います(ねつ造というと、人聞きが悪いですが、これによって誰かを不幸にするということは、当然ありません)。
自分のパフォーマンス発揮に都合良く解釈できるよう、良い記憶だけを抽出し、過大解釈「させたり」、時には事実とは違う様な解釈を「自然に」(←これが大切)出来てしまうような選手が、成功への道を歩いているように思うわけです。
そう、実は,何の根拠もないのに、「行ける気がする!」と思えるような感覚を持てることが、テーパー期には大事なことなのです。
鍛錬期は、”自分に対して厳しくする”ことが出来、テーパー期には”自分を良い気分にさせる”ことに没頭出来るということが、理想的なのかもしれません。
そして、テーパー期に変化してしまう「調子」あるいは「調子の感じ方」、その変化を楽しみつつ、本番に備えるという”楽観性”が、大切になるかもしれません。
久々のゲイリー追悼特集です(とはいうものの、これにて休止にしようかと...)。
1997年に、「またしても」ゲイリーは方向性を突然変化させます。
ピーター・グリーンのトリビュートアルバムで一段落ついたのでしょうか、それまでのブルーズロックから全く異なるところ...大衆的なROCKでありながら、「お洒落路線」といえるような音楽を(短期間でしたが)追求するようになります。
"DARK DAYS IN PARADISE"....
前作との落差を大きく感じる、「作り込まれた」音がそこにはありました。
名曲でありながら、ドラムループやエフェクトが重ねられたヴォーカルに驚かされた"One Good Reason"、素晴らしいギターソロが聴ける彼らしいバラード"Like Angels"や"Where Did We Go Wrong?"、さらにはゲイリー史上1,2を争う大曲"Business As Usual"、など、聴き所も多いのですが、UKダンスミュージック御用達のドラムン・ベースを取りれたり、民族音楽的なリズムを取り入れた楽曲は、「馴染む」のに時間がかかった記憶があります(というか、馴染みきっていない楽曲が多い)。
上記の曲のためだけに、これを聴く価値はありますが(特に、"Business As Usual")、HR時代やブルーズロック時代を気に入ったヒトを失望させる可能性を持ったアルバムともいえます(次作よりはマシですが)。
でも、様々な音楽と向き合ったゲイリーの歴史を語るとき、外すことのできないアルバムであることは確かでしょう。
やはり、唯一無二の、興味深いミュージシャンだったな~...
合掌。
それでは