2010年1月13日水曜日

HARD HABIT TO BREAK

こんばんは

PHASE3に突入しました。
先ずは、先週後半からの対応となっているadaptationが続きます。

未だ、時差ボケが解消しない者もおり、本日のトレーニングでも「力が入らない
sweat01」と困惑する者も少なく無く、混沌とした身体状況が続いているようです。

もう少しの辛抱です。うまく乗り切りましょう!



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 正論に基づいた、ある指摘をしたところ、「伝統的に行われていることだから...」と困惑の表情をされました。
その場面においても、ずいぶんと深い話しをしましたが、他のMarauderにも聞いてもらうべく、この話に補足要素を加えた内容を、以下に綴ることとします
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 凄く良いチームに成熟しているMarauderですし、おおかた問題ないのですが、この機に「細かい点」についての指摘をさせてもらいます。この点、あくまでも、現役Marauder向けなので、口調もこれまでとちょっと変わってくると思いますが、悪しからず。



”伝統”って何だろう。
 「ある集団・社会において、歴史的に形成・蓄積され、世代をこえて受け継がれた精神的・文化的遺産や慣習」とのこと(大辞林より)。

”ウォ~”や”Go Chuo!”などは、「伝統的」な応援といえるし、他大学にも影響を及ぼした、良い「伝統」と言ってもよいでしょう。
トレーニング時に、互いを奮起させるべく、「声を出す」ことも良い伝統として差し支えないでしょう。
トレーニング後に、頑張ったチームメイト同士、互いにたたえ合うべく、握手をするという行為も、誰にとってもマイナスの影響など与える筈のない、良い伝統といえます。
このように、良い伝統を多く抱えるのが、現在のMarauderだと思うし、大方は称賛されるに足りることだと感じています。

 だけど、先述の「声だし」の「音頭」を、(主に)下級生が「執る」ということは、本当に正しいのだろうか?
試合の時は、上級生が仕切るよね!? あれっ?

下級生が「それ」を怠れば、あとで説教?が待っているだけで、その間を「上級生が埋めないこともある」という伝統は、「正しいあり方」であるとは、到底思えない。
下級生も、説教を避けるためだけに、声出しをしてるかもしれない。

トレーニング時に、下級生が、たとえそのトレーニングスピードが遅くても、「前に行く」という伝統は、コーチである僕らは教えていないし、むしろ「止めろ!」と伝えている筈です。

追いつかれることがわかっているのに、とりあえず下級生に先頭を行かす。
そして、何れ順番が変わることになるという滑稽な光景、枚挙に暇がありません
(Main Workoutは、こちらで順番まで指示するので、それ以外でみられる光景です)
そもそも、トレーニングカテゴリーから逸脱するっての。
大筋としては、「速い者が前を泳ぐ」で良いのでは?

トレーニング用具の出し入れ。
「何故だか?」ビート板は、下級生が準備をする。
だけどプルブイやフィン、パドルなどは違う(それだけでも立派なのかしら?)。これもとっても滑稽。
自分で使うんだから、全部自分でやれば良いのに。

Head Marauderが最初(みんなが入学するずっと前の話だよ)に指示したのは、「自分の用具は自分で準備して、自分で片付ける」というもので、Marauderの始動期は、ビート板も自分で出していました。いつの間にか...

部車を使っての便分けと、それに伴うシート上げ。
導入したその年(2003年だと思う)は、「シート上げ」を公平にするために、1便・2便を「入れ替え制」にしてた時期があったな~。
今では、ほぼ自動的に下級生が1便になっていて、その結果、シート上げも1年生になっているけど。


 これらのことは、本当に、未来のMarauderにとって必要な、そして大切な”伝統”といえるのだろうか...。

学生がいうところの”伝統"とやらには、いわゆる「上下関係の遵守」が含まれるようです。
そしてそこには、上の者が「心地よく過ごす」ための(悪)知恵が(少しだけ)見え隠れします。

10年以上前のことになりますが、寮生活において、必要以上の強烈な上下関係が存在しました。携帯電話が普及しているのにいわゆる”電話番”があったり、下級生が上級生を「起こす」仕事があったり、はたまた「買い出し」があったり...。
何れも、ある年に、”勇気ある上級生”たちが全廃したのですが、それまで何年もの間、維持され続けた悪習慣(伝統といいたくない)でした。


 参加する全ての競技者に対して平等であるべきスポーツの現場において、「理由無き、筋から外れた伝統」は不要かと考えます。

感謝の意を表すべき神聖な場所と言えるプールにおいて、上下関係に基づいたルールがあるとすれば、上の者も下の者も、「感謝の気持ち」を忘れてしまうかもしれません。

ひとりひとりが、「泳がせていただいている」ことに感謝の気持ちを持っているのであれば、そのために必要な準備・後片付けについては、自分で行うことが筋でしょう。
皆で行う必要があることは、皆でやるべきで、指示だけを下す者(あるいはその流れに乗る者)と、その指示に背くと何らかのマイナスを受ける可能性があることを避けるために指示どおりに動く者の何れにおいても、「感謝の気持ち」を忘れてしまうのではないでしょうか。



いやいや、それ以前に、自分のことは自分ですべきだし、複数で行う方が良いことに対しては、”皆”で協力しあおうよ。

上の者が、常に手本となるべく、人が嫌がることを率先して行う。下の者は、そんな健気な上の者をサポートすべく、より責任感を持って率先して働く。
そういう「社会」を、”この中”で築けないものだろうか。

ある伝統や内規(というか習慣)があったときに、
それがどのような経緯で作られ、そして守られてきたのか...きちんと紐解く「考え方」が必要でしょう。



伝統に則りすぎると、得てして”創造性”を放棄する結果となり、良い未来は訪れません。
なぜなら、アスリートにとって”創造性”は必須のものであり、自ら創り出す歓びがあるからこそ、辛いトレーニングも楽しくなるし、その結果成功できるという自信に繋がる。
2010のMarauderにこそ、必要なのは”創造性”だという気がする。

僕は、トレーニングのプログラミングやコーチングにおいても、出来る限り、”伝統”を踏襲しないよう気をつけています。
そう、気をつけないと、「勘違い」が起きてしまうことがあるからです。
合宿などは、伝統を崩す格好の機会であり、そのような意味でも今回のスペイン遠征は僕自身も様々な刺激を受けることができました。

テストとして行っていること(ex.Lactate Curve Test)は別とし(コントロールテストなわけですから)、同じパターンでトレーニングを組むことは、可能な限り避けようと思っています(たとえば、5年前のMarauderは、今の僕のスイムやDRYが当時とかなり違うことに気づくかもしれません)。
ただ、そのためには新たな刺激や知識が必要となります。
僕が勉強・追求をしているのは、全て新たなプログラミング・コーチングのためだといえます。

話しは逸れてしまいました。
年は新たな10年期に入りました。

今年のMarauderは、真面目で良いチームであることには異論はりませんが、考えるべきこと・見直すべきことが、少なく無いかもしれませんね。

そうそう、インカレのときに”GOLD HAIR”にする伝統も、見直す方が良いと思っていますよ。
コーチから指示して始まったことではないわけだし...

それでは
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4 件のコメント:

  1. okuno(兄)2010年1月16日 9:22

    こんばんは。
    いつも楽しく読んでます。今回ばかりは、ついついコメントさせて頂きます。
    とーるさんがおっしゃっていること、全面的に納得です。もしかしたらとーるさんがおっしゃっている「勇気ある上級生」の一味だったかもしれません。そのことで、大先輩方に色んな想いをさせてしまったかもしれませんが、当時の僕たちは「学年に関係なく水泳をやる価値は一緒。泳ぐための最高の環境を創る」ことだけを考えてました。だからこそ、中途半端な気持ちの奴はとことん厳しくしたし、落ちそうな奴は皆で全力で引っ張り戻しました(脱走した奴もいたけど・・・)。ある意味後輩に自由を与えた分、何かあった時の責任は
    最終学年の自分たちが取るという覚悟がありました。
    理念があって、それまでの内規を変えさせて頂いたことを、後輩たちに伝え切れなかったこと、実はずっと気にしてました。形だけが残ってしまっている。インカレ時に学年全員で金髪にしたのも、実は僕たちが始めてだったりするかも。それが「伝統」になっているなんて・・・。
    まだまだ強くなるチームですね。何かお手伝いしたのですが・・・。言ってるばかりでは情けないので、何か方法を考えます。

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  2. 貴重なコメントをありがとう、おっくー[E:paper]。真意を伝えるのは簡単なことじゃないですが、リーダーたちに一考(どころか熟考)して欲しい問題だと感じたので記事化しました。
    まず、誤解されるのは本意ではないので、「今のままでも充分良いチームである」ということは、最初にお伝えしておきたいと思います[E:confident]。
    内規といっても、”伝承”に過ぎないわけだし、おっくーたちが、アスリートとして正しい方向に進むべく、改革を進めたのは当然だと思います。
    「変えること」に対しては、大きな勇気と信念、さらには決断力が必要なわけで、そんなに簡単なことではないはずですから。
    とはいうものの、”熟考”の上であれば、「変えない」ということにも意義はあるだろうし、非難されるべきものでは決してないでしょう。
    ただ、真摯に考えもせず、ただただ「流れ」に乗るだけというのはいかがなものかと思うし、いつかのタイミングで、熟考ないしは議論して欲しいかな~...とは願っております[E:confident]
    暇があれば一杯やりながら、話しをお聞かせいただければ嬉しいです[E:happy02][E:scissors]

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  3. 今の現役たちは幸せですね。活字、ネット(ようはブログ)を通じての伝え方って一方的ではあるものの、ワンクッション置いた状態なので、冷静にかつ客観的に受け止められることと思います。
    直接「それは違うでしょ」と言われると、正しくても間違っていても若い彼らは「圧政」だと感じて、モノが歪んで見えるでしょうね(経験あり)。
    ・・・と、大したことは言えませんが、賛同の手を挙げたくて登場してみました[E:bleah]いつも読ませていただいて、とーるさんらしいこのヴォリュームと内容の濃さに感銘を受けております[E:good]これからも楽しみにしています[E:note]

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  4. Sumika、ありがとう。
    伝達手段は増えましたが、そこ(コーチング)にかける”想い”は同じ[E:punch]です。要は、どう使い分けるか...ですね[E:catface]。
    因みに、本件に関しては、リーダーたちと直接話し合う機会も持ちました[E:happy01]

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