2012年10月1日月曜日

K-SUKE

こんばんは

2012シーズンの”リーダーたち紹介シリーズ”も、最後となりました。あっという間でしたが、そうなんです。この代は、6人しか居なかったんですね。

締めは、BRチーム代表、K-SUKEです。
彼の高校時代の指導者とは、現役時代に一緒に合宿をしたことのある、いわば「知人」でしたので(先輩ですが)、彼が高校3年時に台頭し始めたとき、直ぐに連絡をさせてもらいました。
しかし、当時のベストタイムから、まさかIHで予選1位通過という劇的な伸びを示すとは思っていませんでした。
この頃から、「大舞台で結果を残す」という能力の片鱗を覗かせてくれていたわけですね。

入学し、得点0点で終わった1年次のインカレ後、「こんなに悔しい思いをするのなら、練習でキツイ思いをした方がマシ」と思ったらしく、冬場のトレーニング時に、『MD1でやらせて下さい』という、当時としてはかなり思い切った決断を伝えに来ました。
そのほとんどがSPチームに属する傾向にあったBR選手が、MD1でのトレーニングを決断したのは、実は長い歴史の中で初めてのことでした。だから、実は凄い決断だったのですね!

僕は、現役時代はBRを専門としていたため、いつかはBR選手の指導をしてみたいとは思っていましたが、中長距離選手の指導をしているという立場から、その実現の確率は低いと感じていました。その壁を崩し、BR選手として初めて僕の門下生となったのがK-SUKEだったというわけです。


それから、僕にとって少しばかり新しいチャレンジが始まることになるわけですが、それまでにも、かなり個別的なプログラミングをしてきたこともあり、「彼のための特別」を考えるのはまったく苦ではありませんでした。そして、BR特有ともいえる「感覚的なこと」については、誰よりも細かく理解出来る自信があったので、実はBRの指導は楽しくて仕方ありませんでした。

彼が、最後のインカレ前に提出してくれた、ゴールタイムシートには、「4年間かけて、暢さんと一緒に作ってきたBRの集大成を見せる」ため、「優勝する」との”宣言”が示されていました。
この言葉には、「僕にしか伝わってこない重み」が、確実に含まれていました。


BR選手に必要となるドリルワークを、実施種目やインターバルの異なる他種目の選手が一緒のコースで泳ぐ中で展開するというのは当たり前、メインセットの半分以上は彼一人だけでの実施という状況の中で、BR選手にしかわからないような『感覚的』な指導を繰り返し、何度も『ダメ出し』をし、時には怒鳴りつけながら創ってきた泳ぎでした。彼にとっては、辛い日々も多かったことと察します。

「BR選手にとってこれが必要だ!」という要素が,指導初期にはあまりみられず、「これはちょっと時間がかかるな」と直感的に思いました。実際、僕が受け持ってから最初に迎えた選手権の結果は散々で、その翌年の選手権でようやく、トレーニングの成果を発揮することができるようになってきました。
最初の『つまずき』は想定範囲内のことでしたし、3年になってから、おそらく能力を伸ばすことが出来るだろうと考えていたので、それを自信をもって彼に伝えたところ、信じてくれ(たまに迷うこともありましたが...)、次第に、自分から『立ち向かう』という姿勢が確立されていったように思います。

彼の感覚が鋭くなるにつれ、こちらの意図も伝えやすくなった反面、『うまくいかなくて悩む』ことも多くなりました(彼が、ですよ)。そのため、特にテーパリングの時期には、心中穏やかではない状況が続いたと思います。それでも、大舞台ではきっちりとベストを出してくれるようになったことは、喜ばしいことでした。

最後の年は、僕自身は「本気で」五輪出場を目指して指導にあたりました。結果は、『全く及ばず』だったのですが、そこに向かって本気になれたことが価値のあることだし、彼自身、様々な葛藤と迷いのなか、それらを乗り越えて「本気」になれたことは、誇りに思って良いと思います。
そして、最後の夏についても、これまた大いに悩みながらのチャレンジになりましたが、最後にはきちんと乗り越えて、強い姿を示してくれるところは、後輩達の良い手本になったと思いますし、かなり強力なリーダーシップを発揮出来るようになったと感じました。

インカレ、本当に優勝させたかったのですが、目標叶わず。
それでも、100で3位、200で2位、そしてメドレーリレーで優勝と、金銀銅のメダルを持ち帰れたことは、これまた誇りに思って良い、素晴らしい結果だと思います。

様々なタイプのBR選手が居ると思いますが、彼は本当に真面目だったし、努力家でした。歴史ある中大において、新しいやり方を示してくれた、パイオニアだったと言っても、僕は言いすぎではないと思います。

また、CREATIVITYを持っており、僕が良く作るVIDEO CLIPを自分一人で作ったり、それを元にミーティングをしたり、先日アップしたばかりの"Stay Gold”においても、たくさんのアイデアを出してくれました。多才・多芸な選手だったともいえます。

BR指導の楽しさ、奥深さ、難しさを改めて知るきっかけを作ってくれたK-SUKEには、僕は凄く感謝しています。僕からみて、まだまだ「未完」なのですが、大学4年間でやるべきことは全てやれたと思うし、次のステップへ、自信をもって進んで言って良いと思います。頭も良いし、多才だし、相手にエネルギーを与えるようなコミュニケーションがとれる”人気者”だから、成功しないわけがないでしょう。

インカレの祝勝会後に、彼はわざわざ(彼のお母さんもですが)僕のところに改めて訪れ、感謝の意を表してくれました。「最高の水泳人生でした。唯一の心残りが、暢さんに優勝を届けられなかったことです。暢さんで本当に良かったです」ということを、面と向かって言ってくれました。そんなことをきちんと僕に直接伝えてくれたのは、実は3人目なのですね。それが、「最後の言葉だから、失礼のないように」と思って発言しくれたことにせよ、やはり最後の場面で、感謝の気持ちを直接伝えてくれるのは、コーチとしては”最高に嬉しい瞬間”になります。
こちらこそありがとう!ということ、この場をお借りして再度伝えさせていただきます。

これからのさらなる飛躍、楽しみにしています。

さてさて、4年生のみんな、本当にお疲れさまでした!
そして、感動をありがとう!

明日から2013シーズンが始まります。
これからは、力強いOBの一人として、現役生たちにエールを送り続けて欲しいと思います。


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インカレMVのエンドロールで使ったのは、ZIGGYの名曲、"Stay Gold"です。
今回のMVでは、メッセージを伝える本編の最後にテーマソングとして利用し、そのままエンドロールに雪崩れ込む,という構成にしましたが、それはこの曲のタイトルをMVのタイトルとし、メッセージをこの曲をベースに伝えたかったからです。久々に邦楽を使わせていただきました。


ZIGGY "BLOND 007"(1994)
ZIGGYのかつての大ヒット曲、"Gloria"や"Don't Stop Believin'"に比べると、売り上げ数的にも、中毒的な"ポップ性”にしても、すこしばかり劣るかもしれませんが、ZIGGYの新しい側面を伝える佳曲として、僕は大いに気に入りました。
人工甘味料をたっぷり含み、中毒性のある「甘さ」を武器にした愛すべき”ジャパニーズ”R&Rを武器にしていたのが初期の(というか大半の)ZIGGYといえますが、このアルバムは、全体的にはとってもHR的。

ZIGGYのアルバムでは、ギターソロを気にすることなんてなかったのですが、このアルバムだけは「おっ!」と思わせてくれる部分がありました。
当時のメンバーは、森重樹一と戸城憲夫の二人だけで、他はセッションミュージシャン的に雇った強者たちだったためです。中でもGは、”JET FINGER”に愛称で敬われていた『速弾王』横関 敦であったため、必然的にテクニカルなソロが目立ちました。
数多いカタログのなかで、最もHRファンにアピールできるアルバムなのかもしれません。
ただ僕は、ZIGGYのことは大好きなのですが、あまりアルバム単位で聴くようなバンドではないと思っていますので、気にいった曲だけをオムニバス的に聴くのがベターかな...と思っています。

今も変わらず、僕の中では邦楽のフェイバリットバンドといえますね。

それでは!

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